Ryukyu Glass Life
南国・沖縄のエッセンスを、手に取るように感じる。
琉球ガラスがもたらす感動と喜び。「ちょっといい毎日」を。
沖縄県南部の美しい自然に囲まれた糸満市に位置する、琉球ガラス村(RGC株式会社)。
1983年の創業以来、今日に至るまで“手作りガラス”にこだわり続け、お客様の感動や喜びをカタチにする製品作りを心がけて参りました。
様々な困難やニーズの変化がありながらも、変幻自在のガラスのごとく、柔軟にたくましく進化を続けてきた琉球ガラスは、沖縄の歴史と共に歩んで来たといっても過言ではありません。
RGCは、島の工芸を生業とする企業として、伝統を守りながらも革新を続け、琉球ガラスを継承、発展させていく使命のもと、製品づくりを行っています。
暮らしの中に溶け込む芸術品
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一年を通して青々と、生命力に満ちた草花。その時々によって表情を変える、色彩豊かな美ら海。独自に形成されてきた、情緒溢れる伝統文化。
世界中の人々を魅了してきた類い稀な沖縄の情景たち。
それらが如実に反映された琉球ガラスは、唯一無二の輝きを放ちます。
職人たちは、時に自身のバックボーンと重ね合わせながら、“沖縄の魅力”をガラスで表現しています。
100年の歴史に裏付けられた、持続可能なものづくり
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沖縄におけるガラス工芸は明治時代後期に始まったとされており、この当時から切り屑や払い屑を一部原料とした製造が行われていました。
ヒストリー
はじめに
1900年頃(明治時代の中期)、沖縄でガラス製造が始まりました。
それまでは本土から仕入れていましたが、運搬途中の船内で半数以上が破損してしまうことも少なくなかったそうです。
そこで、鹿児島や大阪からガラス職人に来てもらい、沖縄初のガラス工場『沖縄硝子製造所』を設立して県内での製造がスタートしました。
当時は「ランプのほや」「ハエ取り器」、そして薬瓶や菓子入れなどに使う斤瓶(きんびん)といった日用品が製造されていました。県民にとってのガラスは、身近な素材になっていたのかもしれません。
しかし、第二次世界大戦によって沖縄県内のガラス工場はすべて消失してしまいました。原料や道具など何もない中、ガラス職人たちが見出したのは、駐留米軍から廃棄されるビールやジュースなどの空き瓶。そうやって製作される再生ガラスは、アメリカ人の本国への土産品として人気が高まっていきました。当時の国内ではまだ珍しかったパンチボールや脚付きグラスなど装飾性の高い製品が作られていく過程で、職人たちの技術力やデザイン力も発展することができました。
1972年、沖縄県の本土復帰がさらなるターニングポイントとなります。1975年の沖縄国際海洋博覧会開催を契機に、国内観光客のお土産品として、琉球ガラスの需要が大きく伸びていきました。
1998年には沖縄県の伝統工芸品に指定され、現在では国内外で愛される工芸になっています。
RGCのこれまで
1983年4月
県内6社の琉球ガラス工房(奥原硝子製造所、琉球硝子製作所、国際硝子工芸社、親富祖民芸ガラス、沖縄寿ガラス工芸社、ぎやまん館)が合併し、共同仕入・共同販売の「琉球ガラス工芸協同組合」設立
1985年
「琉球ガラス工芸協同組合」を組織変更、4社(琉球硝子製作所、国際硝子工芸社、親富祖民芸ガラス、ぎやまん館)により「琉球ガラス工芸協業組合」設立
1985年5月
琉球ガラス村オープン(ガラス工房とショップの併設)
1995年4月
ベトナム社会主義共和国ハノイ市に「ベトナム琉球文化工芸村」設立。ベトナム工房での生産がスタート(※2019年にハナム省へ移転。「VGCP CO.,LTD.」設立)
2016年7月
株式会社に組織変更。これに伴い「琉球ガラス工芸協業組合」から「RGC株式会社」へ社名変更
RGCならでは
県内最大の琉球ガラス工房RGC FACTORYには、溶けたガラス原料が入る溶解窯を4基完備。同時に多色のガラスを使用できることで、色彩豊かな作品を生み出すことが可能に。職人たちが試行錯誤しながら、表現力、感性を磨くことができる設備が備わっている。
また、RGC FACTORYからはこれまでに、沖縄県工芸士16名、卓越した技能者(現代の名工)4名が誕生。全国でも類を見ない、技術レベルの高い環境下で、職人たちは研鑽を積んでいる。
1990年11月
大城孝榮 琉球ガラスでは初めてとなる、労働大臣が表彰する「卓越した技能者(現代の名工)」に選出
2018年11月
平良恒雄 厚生労働大臣が表彰する「卓越した技能者(現代の名工)」に選出
2019年11月
上原徳三 厚生労働大臣が表彰する「卓越した技能者(現代の名工)」に選出
2020年1月
平良恒雄が「第8回ものづくり日本大賞(内閣総理大臣表彰)を受賞
2020年11月
末吉清一 厚生労働大臣が表彰する「卓越した技能者(現代の名工)」に選出